小室直樹さん、安井藤治さんと終戦の詔書

 数年前のことです。いつもの書店に出かけ、時事・政治の書棚を眺めていたら、懐かしい著者名〝小室直樹 〟に、思わず手が延びました。

 小室直樹(こむろ・なおき 1932‐2010)さんは、学生運動の盛んな時代に、保守の論客として多くの論稿を見かけましたが、あまりにも根源的で広範囲な領域から論じ起こしていて、ついていけないなぁという思いでした。

 その小室さんの著書が、復刊されていたのに気づき、今回手にしたのが「日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する」です。私には初めての書籍でした。初版は1996(平8)年、復刊が2005(平17)年、そして今回は再復刊で2018(平30)年とのことでした。時事を扱っているけれど、小室さんは今なお必読だと、出版社が判断したのでしょう。

  こうしたわけで、この書籍を読み進み、巻末近くの次の箇所でハッと思い当たることがありました。

 ポツダム宣言というのは、連合国が集まって、ドイツのポツダムで相談して作ったのだが、「我々は日本国民を皆殺しにするわけでもないし、奴隷にするわけでもない」とはっきり書いてある。こういう所は日本人は読み落としている人が多い。日本はそれを受諾したので、奴隷にもされないし、皆殺しにもされなかった。

 私は、一旦、小室さんの本を横に置き、別の著者の本を思い出し書棚を探しました。しかし見つからないので、しばらくそのままにしていましたが、最近、思い直すことがあって、いつもの書店には在庫が無くて別の書店にまわり目当ての2冊、半藤一利さんの著書を購入してきました。

 そのうちの1冊が「聖断 昭和天皇と鈴木貫太郎」で、心当たりのページを開きました。1945年ポツダム宣言の受諾当時、鈴木貫太郎内閣の2人の大臣が、会話をしている場面です。

 陸軍出身の安井(千田注・藤治、やすい・とうじ 1885‐1970)国務相が、士官学校同期の陸相の心情と立場を思いやって、人影のないところで、ざっくばらんに聞いた。
「阿南(千田注・惟幾、あなみ・これちか 1887‐1945)、ずいぶん苦しかろう。陸軍大臣として君みたいに苦労する人はほかにないな」
「けれども安井、オレはこの内閣で辞職なんかせんよ。どうも国を救うのは鈴木内閣だと思う。だからオレは、最後の最後まで、鈴木総理と事を共にしていく」
 侍従長、侍従武官としてともに天皇のもとにあり、互いに信じ親しみあった武人同士の同じ心の流れがそこにあった。

 ここに出ている安井国務相とは、富山県出身の陸軍中将で、この場面の記述が私の記憶に残っていたのです。私はこれを確認して、再び小室さんの書籍にもどり、先の引用に続く箇所を読み返しました。

 また、アメリカが犯した致命的犯罪は、日本人は誰もが知っている原爆を用いたことである。原爆というのは、禁止されていなかったように見えるけれども、精密に国際法を見ると一九〇七年のハーグにおいて開かれた陸戦協定においても、残虐な兵器(敵か味方かわからず全てを殺傷してしまうような兵器のこと)を禁止していた。

 なぜ私がこの箇所でハッとしたか、それは小室さんのこの「残虐な兵器」という言葉に思い当たったからです。

 1945(昭和20)年8月15日にラジオで流れた終戦の有名な詔書に、「敵は新たに残虐なる爆弾を使用して頻に無辜を殺傷し」とあります。そして、詔書では「原爆」とは言っていないけれど、かわりに「残虐なる爆弾」と表現していた真意が、小室さんの著書で―詔書に直接言及していないけれど―この記述で合点できたのです。

終戦の詔書(国立公文書館所蔵)

 私はこの「残虐なる爆弾」という言葉は、安井国務相の提案で挿入されたと聞いていました。そのことは多分、公の記録には残っていないでしょうが、このことを安井さんのおそばにいた人から直接聞いていたのです。

 私が、おそばの人から初めて聞いた時、―それは今から50年も前のことですが―、この単語に深い意味があるとは考えもしませんでした。敗戦当時、原子爆弾・原爆、という言葉を公言することは民心の安定にそぐわないとして避けられていたらしいので、そうした配慮から、とはいうものの何か言うべきだろうくらいの判断で、単なる言い換えとして採用されたのだろうと私は思っていました。

 しかし、そうではなかったようです。

 発案者の責任感から、安井さんは、仮に言い換えざるを得ないとしても、言葉の選択の必然性の意味を、記憶に留めておくように想起するようにと願い、身近な人に託して話していたのかもしれません。そして、おそばの人は、その願いを知っていて、リレーするように私に話したのでしょうか。

―― おそばの人は最近他界されたので、私の記憶が風化しないうちに書き留めることにしました。

(引用参考文献)
『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は滅亡する』小室直樹著 ワック 2018年9月刊
『聖断 昭和天皇と鈴木貫太郎』半藤一利著 PHP文庫 2021年8月刊
『日本のいちばん長い日 決定版』半藤一利著 文春文庫 2015年8月刊