三島霜川(みしま・そうせん 1876-1934)のこと

 いつもの書店で、沢山の文庫の棚の間を回遊していたその日、文庫本の小説の群れを、ぼんやり眺めていました。文豪の古典を追い出すような勢いで、新進作家の小説が並んでいます。私はあまり小説を読まないので、流行に乗り遅れているなと感じながら周回していました。

 そうするうちに、「現代文士廿八人」という文庫本を見つけました。
 この文庫本で28人の現代作家を知れば、少しは最近の時流に間に合うかなあと、手に取りました。目次を開いたら、作家の名前が見出しとなって並んでいます。
 最初の人物は、田山花袋です。いささか驚きました。明治時代の作家じゃないですか。

 次の人物は、国木田独歩とあり、これまたよく知る明治の詩人です。不思議になって、文庫の表紙を見たら、紛れもなく「現代…」とあります。
 あっそうか、江戸の戯作が明治維新で一変し、欧米の小説作法に移ったので、そこから現代まで続く作家たちの系譜かと了解し、続いて一人置いて、夏目漱石(1867-1905)が出てきます。なるほど、なるほど…。

 さらに、知らない作家に混じって、小川未明、小杉天外、あるいは徳田秋声、島村抱月、徳富蘇峰、島崎藤村、大町桂月、内田魯庵、そして与謝野晶子、泉鏡花など今日に名を残す錚々たる作家たちです。
 とはいえ、いくらなんでも明治の作家ばかりだなあ…、司馬遼太郎は?松本清張は?出てこない。

 うむ?もう一度、この文庫本の表紙を見たら間違いなく「現代…」とあります。

「現代文士廿八人」中村武羅夫著 明治42年刊    (国立国会図書館デジタルコレクションより)

 そこで、気がついて文庫本の末尾を見たら、この文庫本は明治42年(1909)に刊行された本「現代文士廿八人」を底本としているとあります。
 つまり、私が手にしている文庫本の書名「現代…」とは、この底本が刊行された明治42年頃の書名なのです。令和の今日只今の“現代”ではないのです。

 即ち「現代文士廿八人」という28人は、その底本の執筆当時の“現代”、つまり明治の“現役”の実力者たちのことで、当時41歳の夏目漱石と同時代の“現役”の作家たちのことなのです。この書名には作為はありません。全く真っ当な書名です。
 わたしは、大いに納得しました。

 今にして思えば、“文士”、“廿八”という言葉遣いが醸す時代の雰囲気に、すぐに気付くべきだったし、執筆者の中村武羅夫(1886-1949)が、遠い過去の人であることに早く思い至るべきだったのです。

―さて、ここからが、そそっかしい私のこの拙文の本題です。
 そうした巨匠文豪に列して、第28人目の作家として掲載されているのが、三島霜川(みしま・そうせん1876-1934)だったのです。富山県(現高岡市、1894上京)出身の作家です。

 霜川は、今日の作家群の中では、全国的には知名度のない埋もれた存在でしょう。しかし、富山市にある「高志の国文学館」では、霜川の直筆原稿の公開などをしています。郷土は、明治時代、底本の頃、33歳で嘱望されていた彼の才能を、忘れていないのです。

 実は1970年代の初め、私は東京都の文京区目白台に住んでいました。その頃、書店や米穀店、銭湯や大学附属病院が立ち並ぶ近隣界隈を散歩していて、「徳田秋声と三島霜川が同居していた家屋」という説明板を見て、驚いたことがあります。

 今回この小稿を書くにあたり、秋声と霜川の二人の同居について、秋声の年譜や徳田秋声記念館に問い合わせてみました。
 そうしたら、二人は転居しながら文京区本郷あたりで同居していたけれど、私が見た説明板の住所らしき処は、出てきませんでした。私の記憶の中の説明板と古ぼけた木造家屋は、何だったのだろうか? 

 私は、本郷の菊坂にも住んだことがあり、樋口一葉(1872-1896)のゆかりの住居を訪ねて菊坂周辺をぶらついたこともあります。もしかしたら、その時に秋声・霜川の本郷の居宅を見るかして―それを見た記憶はないのだけれど―、今は記憶が混濁して錯覚しているのだろうか?

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【補足】
 三島霧川の代表作「解剖室」などは、インターネットの「青空文庫」(著作権の切れた古い書物などの無料サイト)で読むことができます。

 

(引用参考文献)
『現代文士廿八人』中村武羅夫著 講談社文芸文庫 2021年3月刊