石川九楊さんと、河東碧梧桐と立山
だいぶ前、いつもの書店の書道コーナーで、書家の石川九楊(いしかわ・きゅうよう 1945-)さんの作品集「石川九楊 源氏物語五十五帖」を見たときは、びっくりしました。
書棚に居並ぶお手本帳などとは全く異なり、学校教育の中で受けた習字のお手本とも違う、別世界のものです。そうかといって、素人の私が、前衛書道と単純に決めつけたり分類したりしてはいけない。書店でそれぞれ確認してくださいとしか、言いようがありません。
もともと私はタイポグラフィに興味があり、石川さんの表現方法をパソコンのワープロWordで再現できないかなぁと、この書籍を買い置きしておいたのだけれど、結局、全く歯が立たず無残に敗退しました。
というわけで、長らく石川さんの著作物が気になってきたのですが、最近いつもの書店で、石川さんの近著「河東碧梧桐 ― 表現の永続革命」を目にしたのです。
書家の石川さんが、俳人の河東碧梧桐の評伝を上梓なさっているので不思議に思い(読んでわかったのだけれど、碧梧桐は、書の分野でも大変に革新的な活動をした人だったのです)、目次を開いたら、「立山は手届く爪殺ぎの雪」という碧梧桐の俳句が見出しに付いています。おっ、富山を見つけたと、買ってしまいました。
河東碧梧桐(かわひがし・へきごとう 1873-1937)は、正岡子規(1867-1902)の門下で、日本中を旅し、文章もものした俳人で、その道中、山岳地帯にも分け入り、立山連峰に赴いたこともあるようです。
この碧梧桐の紀行文の中から、石川さんが「美しい紀行文」として紹介されている文章の一部が、以下のものです。
若し夫れ立山連山の剣岳・雄山・別山・浄土山に至ては、左に薬師岳のお客分を控へ、右に小黒部其他の眷属を率ゐて、落ちなんとする太陽を我手に支ふるものゝ如く、足を踏ん張り臀を張つてゐる、真に巨人の彫塑に類するのだ。
どうやらこれは、東の山岳地帯から、西に向かって立山連峰を遠望した景色のようです。
富山平野に住んでいる私たちが立山連峰を見るときは、西から東へ向かってであり、それを表側からの眺望とすると、碧梧桐のこの描写の立山連峰は、裏側からです。
富山の私たちにとって意表を突かれた方角からの景色で、誠に新鮮です。
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ところで、明治から大正に生きた碧梧桐の俳句は、私たちには馴染みがなさそうな気がしますが、そうでもないんですよ。
旧来の俳句の五七五の韻律や季語を重視しない“新傾向”とされる碧梧桐の、次に掲げる俳句は、中学校(高校だったかな?)の国語の教科書に載っていたことを、ご記憶ありませんか?
赤い椿白い椿と落ちにけり
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で、いまさらですが、先に紹介した碧悟桐の俳句「立山は手届く爪殺ぎの雪」は、(「爪殺ぎ」は「つめそぎ」と読むようです)どういう情景を読んでいるのか、恥ずかしながら、私には、良くわからなくって………
(引用参考文献)
『河東碧梧桐 ― 表現の永続革命』石川九楊著 文藝春秋 2019年9月刊
『石川九楊 源氏物語五十五帖』石川九楊著 求龍堂 2008年11月3日刊