坪内祐三さん、永井荷風『下谷叢話』、そして成瀬哲生さんのこと

  今年の1月のブログを書き終えて、種本にしたコラム集「文庫本千秋楽」の読み残しに目を通していたら、著者の坪内祐三さんが、西暦2000年の文庫本の新刊について、次のようにお書きでした。

粒揃いと言えば、何と言っても凄かったのは、岩波文庫の六月の新刊だ。(中略)
書いている内に思い出したけれど同じ岩波文庫の九月の新刊、永井荷風の『下谷叢話』 
の巻末に載っていた成瀬哲生の注と解説も素晴らしかったね。

 と、9月の岩波文庫に、わざわざ「ね」と念押しなさっていた。私は、猛烈に読書意欲をそそられました。

 この「下谷叢話(したやそうわ)」は、永井荷風(ながいかふう1879-1959)の代表作のひとつで、幕末の二人の漢学者の対照的な生涯を軸に、その時代の潮流に背を向けた漢詩壇の人々を、大きな共感をもって描いた作品といわれています。

 実は私、この文庫本を、これまでいつもの書店の棚で、何度も手に取りました。ところが、やたらと漢文や漢詩や人名や引用文、さらに読み慣れない漢字も満載で購入する気を削がれ、書棚に戻すことを繰り返していました。
 それなのに、坪内さんは、成瀬さんの「注」や「解説」をベタぼめです。

 意を決して、いつもの書店へ行ってみました。すると、なんと、書棚に並んでいません、はて?
 店員さんに尋ねたら、書棚の下の収納庫の引き出しから「これですか?」と同じ文庫本を2冊取り出しました。私は、その2冊のうち背表紙の色があせた方を、いとおしく購入しました。

 今回わかったのだけれど、この作品は、日夏耿之介(ひなつこうのすけ1890-1971)が、「雑然紛然たる雑叙」と評していました。

 あるいは、正宗白鳥(まさむねはくちょう1879-1962)が、「鴎外氏は老いるにつれて芸がかれて、考証的伝記を編むに相応しいのであったが、荷風氏の近作は、昔の美人が皺の目立った顔に白粉を塗っているような感じがしだした」と評していました。

 プロの作家が酷評だもの、私が挫折してきたのも当然だわ。しかし、今回の私は踏みとどまりました。

 読み始める前に、時間をかけて、ちょっと工夫を施しました(補足・写真参照)。
 そうしたら、いやー読める読める。なんとか最後まで、とにもかくにも読み通してしまいました。これは、我が生涯の快事と自慢して良いでしょう。

 次に、巻末の「解説」の成瀬さんの荷風と鴎外の比較分析の一文も大いに励みになり、私は、森鴎外の史伝の代表作「渋江抽斎」を買ってきて読み比べました。二人は、明らかに趣が違います。荷風と鴎外の二人の作品を比較して優劣を言うのは、大海と山脈を比較するようなものだと思った次第です。

 さらに面白いことに、成瀬さんが、こう書いておいでです。

「下谷叢話」には、読み手の関心を引き出すために考証というスタイルを逆用し、事実の記述に止めることで、かえって理由を謎めかしたと思えるフシもある。

 と書きつつも、成瀬さんは、「謎」のネタばらしはしないよ、とおっしゃるお茶目ぶりです。

 さて、ここまで私の拙文をお読みくださった皆さまは、今回のテーマのどこが「とやまの見え方」なのか?と、いぶかしくお思いでしょう。いやいや、文庫本中に記載はないけれど、紛れもなく富山があります。

 実は、成瀬哲生さんは、富山の高校の私の同級生、成瀬君だったのです。

 

【補足】具体的には、次のような工夫をした。
①マーカーで着色した。
・主人公の二人、大沼枕山は赤色、鷲津毅堂は青色
・本文中の「わたくし」つまり永井荷風は緑色
・引用されている漢文・漢詩はヤマブキ色(このベタ塗りの面積がすごいことになった)
・解説の成瀬さんが本文中に施した“漢文漢詩等の読み下し文”はオレンジ色
・その他の登場人物は適宜に黄色
② 不明な漢字や地名や人物名は深追いしない。即ち、わかったふりをする。
③成瀬さんが本文中に施した“漢文漢詩等の読み下し文”も、読書のスピードを落とさず読み進むのに、大いに役立つ。

(引用参考文献)
「文庫本千秋楽」坪内祐三著 本の雑誌社 2020年11月刊
「下谷叢話」永井荷風著 岩波文庫 2000年9月刊
「渋江抽斎」森鴎外著 岩波文庫 2021年4月刊