歌川広重と、浮世絵の富山船橋

歌川広重「六十余州名所図会 越中冨山船橋」

 コンビニで購入した最近の『週刊文春』(2021年6月24日号)の書評欄「私の読書日記」の週替わり担当は、フランス文学者鹿島茂さんでした。取り上げてあったのは、『広重の浮世絵と地形で読み解く 江戸の秘密』(竹村公太郎著)です。

 チョット驚きました。この週刊誌の発売1か月ほど前に、いつもの書店で買ったばかりの書籍だったからです。

 江戸時代の歌川広重(1797-1858)は、有名な「東海道五拾三次」のほかにも日本各地の名所の浮世絵版画を残していて、今回の書評の『広重の…』は、それら広重の浮世絵をタネに蘊蓄を傾けるといった類のものです。

 文学作品でもないし、評論でもない、どんな観点から書評になるのか、いぶかしく思いながら、鹿島さんの書評を読んでみました。鹿島さんがおっしゃるには、

 昔、翻訳していたときに学んだ言語学用語の一つに関与性(pertinence)の原則というのがある。たとえば樹木を対象とする場合、文学的視点から樹木の発熱量は関与的ではないし、また熱力学的視点からは樹木の詩情は関与的ではない。つまり、専門分野が異なると、関与する入力がまったく異なってくるので、出力もまた異なるというわけだが、竹村公太郎『広重の浮世絵と地形で読み解く 江戸の秘密』はまさにこうした「関与性の原則」のよきサンプルになる考察である。なぜなら、土木行政官という関与性から広重の浮世絵を眺めると、これまでには気づかれなかった江戸の姿が浮かびあがってくるからである。

 なるほど、書評の眼目は、ここらしい。そして竹村さんの記述の中から、鹿島さんが例として取り上げた一つは、

 こうした土木屋魂による広重解読の最たるものは「よし原日本堤」だろう。―中略―日本橋・葦屋町から移転した遊郭・吉原がこの先にあるからだが、元土木行政官はふと疑問を抱く。―中略―なぜ日本堤の先に吉原を移転したのか、と。―中略―土木的答えはこうだ。「そこに遊郭街を移転させれば、江戸中の男たちは、否応なく、日本堤を歩いて通うことになる」。つまり遊郭通いする男たちの足で堤防が踏み固められるし、万一決壊があっても早期発見が可能になるというわけだ。

 さて、私が竹村さんのこの著書を購入したのは、広重の浮世絵のひとつとして「越中 富山船橋」が取り上げてあったからで他意はなかったのですが、竹村さんの視点からすると、

 満々と水を湛える大きな川。向こう岸には松林、そして遠くに連なる山々。広重『六十余州名所図会』より「越中 富山船橋」。自然の美しさもさることながら、多数の舟を浮かべて繋いだ、簡易的な橋である「船橋」が、川の流れでたわんで描きだされる円弧も、構造的な美しさを引き立てています。―中略―
 川に分断された土地に生きてきた日本人は、対岸に渡り情報を交換しなければならなかったのです。自分たちの生命の存続のためにも、目の前を流れる川を渡らなければならなかったのです。―後略―

 そこで、富山に住む私の目で、この浮世絵を見た“関与性”から言えば、次のようになります。

 この浮世絵には、船橋のほとりにある二つの常夜灯、すなわち左岸の常夜灯、右岸の常夜灯が描かれていない。何よりも、川の流れが右から左に流れている構図から言えば、対岸に富山藩十万石の城下町が描いてあるべきだが、残念ながら描いてない。そして、対岸の山並が近景過ぎる。

 どうやら、広重は、越中富山の城下町へやって来ないで、富山船橋を描いたと推測される(きっとこうした観察は、富山郷土史家によって、すでに指摘されていることでしょうが…)。

 ちなみに、当時の左岸の常夜灯は、北日本新聞社の裏手の舟橋北町の四つ角に今も残っています。もう一つ、同じく現存する右岸の常夜灯は、松川(旧神通川の流れの一部)に架かっているコンクリート製のその名も”船橋”のたもと、松川の右岸に直々に立っています。

 この二つの常夜灯は、共通の一直線の道路のわきに立っています。その間隔およそ200m。昔は、この川幅の間を、古い神通川が西から東へ流れ、そして曲がりくねって北上していた…、そんなことなど思いながら、ブラブラ歩くと、ちょっと江戸時代に思いをはせてしまいます。

版元: 広重さん、大好評の六十余州名所図会、次回の富山藩は、日本一と評判の船橋でお願いしますよ
広重: 越中なら、“枕草子”で清少納言が取り上げた“水橋”はどうかな?
版元: それは、古~い話で、所在不明らしいですよ
広重: 私は、越中へ旅したことがないのだがなぁ
版元: 船橋は、川の流れに押されて、中ほどがグーンとたわんでいるとか
広重: なるほどねぇ……、とすると、川の流れを、右上から左下の構図として、船橋は左にたわむというのが良いかなあ~ さて、富山藩の藩邸はどこかな? 取材に行ってくるか
版元: 前田様は本家分家並んでおりますが、あそこは琴の音がいつも流れているとか

 現在、松川のほとりの右岸の常夜灯のそばに、解説用の絵看板が立っています。絵の中の神通川は、広重の浮世絵を尊重したのでしょうか、右から左へ流れています。ところが、目の前の実際の松川は、左(西)から右(東)へ流れています。つまり、絵看板の川の流れとは反対なのです。なんだかなぁ……

引用参考文献)
『週刊文春』2021年6月24日号 
『広重の浮世絵と地形で読み解く 江戸の秘密』竹村公太郎著 集英社 2021年4月刊