牧野富太郎博士と、新川県、玉露

「植物一日一題」ちくま学芸文庫

 牧野富太郎博士(1862-1957)の随筆集には、何度か挑戦してきました。挫折して、忘れたころに再度購入し、また挫折する。こんなことを繰り返してきました。この高名な植物分類学者の随筆は、いつも引き込まれるのに、ほどなく挫折してしまうのです。

 だって、基本的なテーマは草花なわけで、それらはカタカナ表記で出てきます。博士によると、

 〈日本の草や木の名は一切カナで書けばそれで何ら差し支えなく、今日はそうすることがかえって合理的でかつ便利でかつ時勢にも適している。─中略 ─ 元来漢字で書いたものはいわゆる漢名が多く、漢名は中国の名だから、こんな他国の字を用いて我国の植物を描く必要は認めない。〉

 お説ごもっとも。植物の好きな人なら、カタカナ表記でも簡単にイメージが湧くでしょう。しかし、私は“名もなき草”という表現に大いに賛同する側の者ですから、そうはいきません。と、屁理屈を言いながらも、最近また購入してしまいました。

 「植物一日一題」(ちくま学芸文庫)です。毎回1つの植物をテーマとして、1話2~3ページの随筆がちょうど100話で1冊になっているので、なんとかなるだろうと高を括って買いました。博士によると

 〈昭和二十一年八月十七日より稿し初め、一日に必ず一題を草し、これを百日欠かさず連綿として続け終に百日目に百題を了えた。〉

 84歳で100日間毎日欠かさず執筆し、90歳でこの随筆集は刊行されました。何たる気力、精力でしょう。文庫本の巻末の「解説」にある大場秀章氏(植物学者)によると、「私は思う。本書は色々な意味でもはや古典の域に達していると」。

 そうとあれば、これは、読まざるを得ません。…しかし、案の定、私の読書の勢いは、挫折の気配が濃厚です。そこで、今回は一計を案じました。

 ① テーマの植物に、黄色のマーカーで印をつけ、文面の中で目立たたせる
 ② 知らない植物が出てきたら“知っているつもり”とし、深追いしない

 他にもちょっとした対策を立てて読み始めたら、いやーはかどる。この随筆は面白い。とうとう読み切ることができました。にじみ出る愉快な人柄も読みどころです。たとえば

 「とにかくアケビとはその熟した実が口を開けた姿を形容したものである。 ─ 中略 ─ 女客あけびの前で横を向き 」
 などとサラッと解説が入ってくるのです。

 ……と道草はこれくらいにして、本題に入ります。
 この随筆集の中の「茶の銘玉露の由来」と題する一編の中に“富山”が出てきました。ご紹介します。

 〈製したお茶の銘の玉露(ギョクロ)は今極く普通に呼ばれている名前であることは誰も知らない人はなかろう。ところがこれに反して、その玉露の名の由来に至っては、これを知っている人は世間にすくないのではないかと思う。

 明治七年(1874)十一月に当時の新川県(今の富山県の一部)で発兌(はつだ)になった『茶園栽培問答』と題する書物があって、同県の茶園連中が山城の茶名産地宇治から教師を聘して茶のことを問いただし、その教師の答を記したものである。その中に「玉露の由来」という一項があって問答しているから、次にこれを抄出する。─ 以下略 ─ 〉

 それによると、大阪の竹商人の提案で茶の葉を揉むうちに尽く丸く玉のようにでき上がり、それを急須に入れて飲んでみたら甘露の味わいがあるので、「たまのつゆ」と名付け音読みして「玉露」と名付けた由。

 さらに、牧野博士によれば、大槻文彦の編んだ有名な辞書『大言海』には別の命名説があるけれど、玉露の語の原因は、この新川すなわち富山の『…問答』の記述の方が、“真実であるように感ずる”ということなのでした。

* 牧野博士が取り上げた『茶園栽培問答』は、富山県立図書館に原本があります。

(引用参考文献)
『植物一日一題』 牧野富太郎著 ちくま学芸文庫 2008年2月刊
『茶園栽培問答』富山県立図書館蔵 T023-55-A