新型コロナ騒ぎの中で、『「空気」の研究』を読んでみた


 いつもの書店で、ズラッと並んでいる文庫本の書棚を、眺めていたら、懐かしい書名が目につき、買い求めました。『「空気」の研究』(山本七平著)です。

 学生の頃、同じ山本さんの『日本人とユダヤ人』(イザヤ・ベンダサン著、山本七平訳)が大評判になり、学生会館のソファーに陣取って仲間と話題にしたことを思い出します。今回の文庫本『「空気」の研究』が最初単行本で出版されたときも、評判になりましたが、その頃の私はもう社会人になっていて、読後に、なんだか身につまされる思いをしたものでした。

 この著書の主旨は、日本での意思決定の過程ではその場の「空気」が非常に重要なファクターになっている、という斬新なものでした。つまり、山本さんによると、

 〈われわれが通常口にするのは論理的判断の基準だが、本当の決断の基準となっているのは、「空気が許さない」という空気的判断の基準である。〉

 あるいは、もっと具体的には、

 〈以前から私は、この「空気」という言葉が少々気にはなっていた。そして気になり出すと、この言葉は一つの〝絶対の権威〟の如くに至る所に顔を出して、驚くべき力を振っているのに気づく。「ああいう決定になったことには非難はあるが、当時の会議の空気では……」「議場のあのときの空気からいって……」「あのころの社会全般の空気も知らずに批判されても……」「その場の空気も知らずに偉そうなことを言うな」「その場の空気は私が予想したものと全く違っていた」等々々、至る所で人びとは、何かの最終決定者は「人でなく空気」である、と言っている。〉

 今回、この文庫本を読んでみたら、山本さんは「空気」に左右されている例としていくつか挙げてありました。もっとも、それらは、単行本の出版時1977年頃の知見にもとづくことなので、隔世の感がありますが…。

 いわく、「戦艦大和の特攻出撃」、「複合汚染」、「保革逆転」、「日本版マスキー法」、「イタイイタイ病」、あるいは「西南戦争」。

 そして、今回読み直していて、気が付いたことがあります。「空気」に関連して、山本さんはこの著書の中で、もう一つ強調したいことがあったのではないか? それは、次のような一節です。

 〈周恩来首相が田中元首相に贈った言葉を思い出す。「言必信、行必果」と。この言葉ぐらい見事な日本人論はない。この言葉はおそらく全日本人への言葉だと思うが、これを「小人(おっちょこちょい)」と読めば、何と鋭く日本人なるものを見抜いたものだろうと、思わず嘆声が出る。〉

 山本さんは、これを次のように言い換えていらっしゃる。

 〈「やると言ったら必ずやるサ、やった以上はどこまでもやるサ」で玉砕するまでやる例も、また臨在感的把握の対象を絶えずとりかえ、その場その場の〝空気〟に支配されて、「時代先取り」とかいって右へ左へと一目散につっぱしるのも、結局は同じく「言必信、行必果」的「小人」だということになるであろう。 ─中略─
 だが非常に困ったことに、われわれは、対象を臨在感的に把握してこれを絶対化し「言必信、行必果」なものを、純粋な立派な人間、対象を相対化するものを不純な人間と見るのである。〉

 このように山本さんは、およそ40年の昔、警鐘を鳴らしていた。そして、この文庫本は、標題作の ①「『空気』の研究」、②「『水=通常性』の研究」、③「日本的根本主義について」そして ➃「あとがき」、この四つが一体となって、考察が螺旋状に上昇しながら日本人論として語られていることを、今回改めて知りました。

 そして、現下の新型コロナ騒ぎの中、テレビや新聞による世論形成を、思い浮かべたことでした。

(引用参考文献)
『「空気」の研究』山本七平著 文春文庫 2018年12月刊
『「空気」と「世間」』鴻上尚史著 講談社現代新書 2009年7月刊