<追悼外山滋比古さん>先進富山県

「実業之富山」2015年7月号より再掲

 私が東京で会社勤めを始めたのは昭和48年のことで、うろ覚えですが、6カ月の試用期間が終わると月給が1倍半になったはずです。増えるとは聞いていましたが、預金通帳に振り込まれていた金額が、予想を超えていたので、驚きました。

 私の時代は、経済成長の真っ只中でした。さらにその後の、例のトイレットペーパーの買い占め騒ぎの起こる石油ショックを契機に、物価が飛躍的に上がり地価も暴騰して、日本が狂乱状態となり、よくもまあ、あんな異常なことがあったものだとあきれます。

 長生きはしてみるもので、大学の経済学の教科書で机上の学問だったことが今になっては自慢話というか経験話として口をついても、いささか自信をもって話せるというもので、これが長生きかなどと、感慨に耽ることもあります。

 その後、私は帰郷して現在の職業に就いていますが、面白い本をみつけ、わが郷里富山県をいろいろと再認識した次第です。大学教授だった外山滋比古氏の昭和63年発刊のエッセイ集にこんなことが出ていました。

 〈もの知りの友人が日本でいちばん早く銀行振込にした自治体は富山県であると教えてくれた。なんでも昭和四十五年だというからずいぶん前だ。いまだに県では現金を支給しているところが多いというから、先進県である。〉

 フーンと私もうなったのですが、外山さんは、友人の話の続きをきいて、首をかしげます。

 〈まず富山県職員一九〇〇〇名のうち振込にしている人が現在も七三〇〇名余りで、実施率三八%にとどまっている。さらに不思議なのは、千円以下の端数だけ振込にして、あとは現金で受け取っているのが八二〇〇人で四四%もあることだ。小銭はうるさい。これは振込にして、まとまったものは現金でいただいていく。なかなかユニークなやり方だ、と感心した。〉

 そして、外山さんはこの方法の奥深さに合点します。

 〈これなら妻に月給を手渡す儀式?をすることもできる。そうなれば、妻も行きがかり上、ありがとうございます、ご苦労さまでした、くらいの挨拶はすることになろう。〉

 と、いかにも当時の富山の家庭風景が目の前に見えてきます。当然ながら、調べたわけではありませんが、今は全額が振り込みでしょう。

 さて、ついでながら、このエッセイには、雪国を勇気づける一節もあります、ご紹介しておきます。明治時代になって、列強と外交交渉をしたとき、

 〈相手の国のお役人が、“貴国は雪が降るや”とたずねた。わが方の外交官が“もちろん、降る。ところによってはすこぶる多く”とこたえた。すると相手の態度がはっきりかわったそうだ。つまり、雪の降るような国なら文明が進んでいるだろうから信用してよいというのがヨーロッパの国々の“常識”なんだろうね。〉

 つまり、19世紀は、雪の降る国々が世界を支配していたということなのでした。そして、当然、北陸の富山も日本を代表する雪国のひとつ、帰郷した私には、頼もしい気分よい雪国讃歌でした。

(引用参考文献)
『スモール トーク』外山滋比古著 読売新聞社1988年12月