『文化水流探訪記』と『まんが道』

 書店へ出かけ、音楽関連の書棚を眺めていました。

 私の世代なら誰もが知っているシンガー・ソングライターたちのエッセイ集や歌集などが、並んでいます。やがて、『文化水流探訪記』(やけのはら著)というエッセー集が、目に入りました。

 著者やけのはらさんは、私たちの青年期には見かけなかった人です。DJやトラックメーカー、ラッパー、執筆業などをなさる人で、多様なフィールドで確かな審美眼と独自の嗅覚で渡り歩くとのことです。そして「FUJI ROCK FESTIVAL」などのビッグ・フェスティバルから、アンダーグラウンド・パーティーまで、10年以上にわたり、日本中の多数のパーティーに出演されている。また、2013年にリリースした楽曲『RELAXIN’』のMVが、「第17回文化庁メディア芸術祭」で新人賞を受賞などと著者略歴にあります。

 ここにDJとか、トラックメーカーとか、アンダーグラウンド・パーティーとありますが、新しい若者文化なのでしょうが、私にはわかりません。そして、やけのはらさんは1980年生まれで、私よりもずっと若い人でした。

 ところが、目次を開いていくと、そこには、タモリ、伊丹十三、山下達郎、高田渡、田中一光、水木しげる、山上たつひこ、池波正太郎、山口瞳、あるいは、赤塚不二夫、あがた森魚、植草甚一、色川武大などと、ちょうど私たちの青春期の文化ヒーローたちの名前が出てきます。こうした人たちの系譜を、やけのはらさんは、“文化水流”と位置付けておいでなのでしょう。

 にわかに、興味が湧きました。改めて、じっくり目次に目を凝らすと、『まんが道』と出てきます。これは藤子不二雄Ⓐさんの漫画作品です。いうまでもなく、藤子さんは、富山県氷見市の出身の漫画家です。そこで、目次に従ってそのページを開くと、次のように出てきました。

 〈私の好きな漫画、第一位は、何十年にもわたって不動で、藤子不二雄Ⓐ『まんが道』である。何度読み返しても、その読み返したときの年齢ごとの見方が出来るし、また別の面白みを感じることも出来る。 

 続編であり、『まんが道』よりも少しだけ大人の世界も描く『愛…しりそめし頃に…』。そして、他者の手助けによる自己実現の達成を題材としながら、相方、藤子・F・不二雄『ドラえもん』と表裏一体、対になるかのように、悲惨なエンディングを迎える『笑ゥせぇるすまん』。私は、藤子不二雄Ⓐの漫画から人生の全てを学んだといっても過言ではない。〉

 私たちの世代は、「右手に朝日ジャーナル、左手に少年マガジン」などと言われたものです。しかし、それは、どちらかというと、右手の朝日ジャーナルも一方では批判の対象であり、漫画は、その当てつけのようなポジションで、決して全肯定というものではありませんでした。

 しかし、どうやら今、やけのはらさんの世代は、“両手に漫画”とでもいうのでしょうか、漫画への支持そして信頼は、全幅のものなのでしょう。そして、そういうものの現れとして、『まんが道』があるというのは、実に誇らしい。 

 そこで思い出したことがあります。数年前、東京からやってきた知人が、富山の地方色豊かな場所を案内してほしいと言ったので、一日かけて呉西の山里の寺院や神社、曳山の展示会館などを巡ったことがありました。

 その日、夕暮れになりましたが、もう少しとの希望から、氷見へ足を延ばしました。ここは藤子さんの地元で、その商店街にあるブロンズ像群を一点ずつ見て回りました。知人は丁寧にその一点一点をカメラにおさめていきました。

 やがて夜もとっぷり暮れ、長く連なる商店街の両側のシャッターも全て閉まり、人通りも絶えて閑散となった頃、ようやくブロンズ像の撮影が終わり、最後に、光禅寺にたどり着きました。このお寺へ来たのは、知人はもちろん、私も初めてでした。

 このお寺は藤子さんの生家と聞いていたので、明かりのおちた真っ暗なお寺の前庭へ、私たち二人は、光の鈍い懐中電灯を頼りに、おそるおそる歩いて入っていきました。

 突然、正面に、大きな4体の石像が、横並びでボヤーッと浮かび上がりました。それは、藤子さんの漫画の主人公たちの石像でした。

 左から順番に懐中電灯の光を当てて確かめていくと、一番右端になって、知人が、「キャッ」と悲鳴をあげました。そこには、『笑ゥせぇるすまん』の主人公“喪黒福造”が、あの不気味な笑顔で、立っていたのです。

 ……これから光禅寺を見学なさる方には、白昼を、おすすめいたします。

(引用参考文献)
『文化水流探訪記』やけのはら著 青土社 2018年11月刊
『まんが道①』-中公文庫コミック版-藤子不二雄Ⓐ著 中央公論新社 1996年6月刊

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