蜃気楼は、不倫に似ている

 毎年7月になると、3~4日ほど、あるお客様の事務所にお邪魔する仕事があります。

 いつもこの仕事は長引くので、訪問途中に寄り道して、軽く腹ごしらえをします。立ち寄るのは、決まっていて昔ながらの日本蕎麦屋さんです。なぜって、近ごろの言葉で“リーズナブル”と言うか、つまり手ごろの値段で美味しいからです。が、そればかりではありません。

 この店には、私が普段は購読していない週刊誌が常備されているので、食事の合間にそれを見ることが、実は一番の楽しみなのです。

 今年もその時期がやって来て、立ち寄りました。ここ数年はカツ丼を注文していましたが、今年は、壁のお品書きを見まわして、冷やしおろしなめこ蕎麦を注文しました。

 いつもの注文取りのおばさんは、おや?という顔でしたが、席に着いた私に、「冷やしおろしなめこ蕎麦、ひとつ?」と確認すると、調理場へ下がっていきました。

 さて、私は立ち上がると、楽しみの週刊誌を手にとって来て、改めて席に座りました。それは、1年ぶりの「週刊朝日」で、表紙が演歌歌手氷川きよしの7月12日号でした。

 この週刊誌は、富山県出身のジャーナリスト翁久允氏(おきなきゅういん 1888-1973)が編集長を務めたこともある老舗の雑誌で、私の子どものころ家にあったようでしたが、いつのまにか疎遠になってしまいました。

 テーブルに届いた冷やしおろしなめこ蕎麦をすすりながら、左手でページを開いていたら、「驚きの蜃気楼」という文字が目に入りました。こりゃあ、富山に違いない、と椅子を引き寄せ直し、姿勢を正して読んでみると、まさしくそのとおり、これは、売れっ子の文筆家内館牧子さんの連載コラム「暖簾にひじ鉄」の今号の題名でした。

 それは、「私は新聞が大好きで、全国の地元紙は特に好き。」の書き出しで始まり、以下のようにあります。

 〈そして先日、私は富山県を中心に購読されている「北日本新聞」を読んでいた。何と「蜃気楼」の記事が大きく出ているではないか。〉

 〈かなり昔だが、私の女友達は何としても蜃気楼が見たいと、綿密に気象やら種々の条件やらを調べ、ベストとされる時期に富山に行った。〉

 内館さんによると、結局、この女友達は見ることができなくて、10日目にとうとう帰京し、こうぼやいた。

 「明日は出るんじゃないか、もう少し待とうってなるのよ。今日帰って明日出たら、今までの日が全部無駄になるじゃない」

 「それって、何か不倫の男を切れないのと似てるね」
 「どこが」
 「明日は妻と離婚すると言うだろう。もう少し待とう、もう少し。それでズルズルと10日どころか10年を無駄にするわけよ」

 と、内館さんの蜃気楼と不倫の話が続きます。蜃気楼を不倫に例えるなんて、文筆家の形容は的確だ(と言っていいんだろうなあ)。

 さて、また、冷やおろしなめこ蕎麦をすすりながら、ページをめくると、これまた著名な文筆家嵐山光三郎さんの連載コラム「コンセント抜いたか」 に、「聖火リレーとはなにか③」と題する一文がありました。2020年オリンピックの聖火リレーの道順を記述する中に、次のような富山が出てきたのです。

 〈 (聖火リレーは)富山に入れば氷見の魚が新鮮でキトキト、入善のジャンボ西瓜は飛行船の形をしている。-以下略-〉

 また、ページを戻すと、「安倍自民党惨敗 年金大逆風」と大見出しの7月21日の参議院選124議席全予測の記事に、富山選挙区の当落予想も出ています。

 そして、この週刊誌の最終ページ「山藤章二のブラック・アングル」には、バスケットボールの八村塁選手のことが掲載されていました。 

 こうして、私は、“富山満載”の週刊誌を閉じ、最後の蕎麦湯を飲んで、立ち上がりました。

(引用参考文献) 
『週刊朝日』2019年7月12日号 朝日新聞出版社
「暖簾にひじ鉄」連載第872回 内館牧子著
「コンセント抜いたか」連載エッセー第1100回 嵐山光三郎著
「山藤章二のブラック・アングル」第2144回 山藤章二著

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