哲学者と富山産のブリ

 『週刊文春』に、「ツチヤの口車」という長年連載されているエッセイがあります。

 執筆は、哲学者の土屋賢二さんです。その著書『あたらしい哲学入門』の“著者紹介”によると、

 〈1944年岡山県生まれ。東京大学文学部哲学科卒業。1975年にお茶の水女子大学に講師として就職後、同大学教授、文教育学部長などを経て、2010年より同大名誉教授。専門は哲学。ユーモア・エッセイストとして知られており、『紳士の言い逃れ』『不要家族』『論より譲歩』などがある。(以下省略・千田)〉

とあります。

 そのユーモア・エッセイの楽しさをご紹介するには作品の一編をご紹介するだけで十分なのですが、とはいえそれでは“丸写し”になり不都合なので、代わりに、たくさん出版されている「ツチヤの口車」の文庫本の中の1冊から、その“まえがき”の一部分をご紹介いたします。

 〈本書は週刊文春の連載『ツチヤの口車』をまとめたものである。まとめただけでなく、加筆訂正し、削除し、改ざんし、歪曲し、ねつ造し、偽装し、粉飾をくわえてある。重要文書なら文書偽造罪に問われかねない行為である。

 これだけ手をかけるのは、売れやすくするためではない。売れさえすればいいという姿勢はわたしの軽蔑するところである(その証拠に売れていない)。〉

 いかがですか? 土屋さんの読者はニヤッとなさるでしようが、初めての方は、キョトンとなさったのではないでしょうか? これが、“ユーモア・エッセイスト”の真骨頂なんです。

 念のために申し上げますが、引用したうちの(その証拠に売れていない)の部分は、土屋さん自身の言葉であって、私千田のコメントではありません。「ツチヤの口車」をまとめた他の数冊の文庫の“まえがき”も、この調子です。

 さて、これからが本題です。

 週刊文春の今年の4月11日号の「ツチヤの口車」は、「同級生への手紙」と題がついています。神戸に住む土屋さんが、遠方に住む同級生にむけて手紙の返事を書いたという仕立てです。それは、こうです。

 〈小学校時代の同級生から手紙をもらった。「ハナを垂らした子どもを見て思い出した」ので手紙をくれたという。返信を書いた。〉

 〈お元気で何よりです。わたしの方は、片頭痛とめまいと風邪をしょっちゅう引くのと睡眠障害と認知症の疑いがあるのを除けば、健康そのものです。(中略・千田)

 神戸は、海に近いため、近所のスーパーで買う魚は新鮮です。とくにおいしいのは、富山産のブリやチリ産のサーモンです。〉

 さあて、土屋さんのこの富山産のブリの礼賛を、どう解釈したらよいでしょうか。本心か?それとも…?

 そのヒントは、上記に紹介した「まえがき」の文庫『そして誰も信じなくなった』の“著者紹介”欄にあります。ここまで私の文章を読んでくださった方は、きっと驚かないでしょうが、ご紹介いたします。

 〈経歴についてははっきりしない。本人が「小学生のときは児童の名をほしいままにしていた」と書いているのは真実だと思われるがそれ以外は不明である。人によって、「パリ生まれだと聞いた」、「イギリスの貴族の出だと言っていた」、「玉野市出身の土屋は同姓同名の詐欺師だと主張していた」など、証言はマチマチである。(中略・千田)唯一証言者たちが一致しているのは「あいつの書いていることは信用できない」と主張する点である。〉

 いかがでしょうか? この文庫の書名が『そして誰も信じなくなった』というのも暗示的ですが、これによって、土屋さんが「とくにおいしいのは、富山産のブリ」と言っていることの信憑性に決着がついてしまいました。富山に住む私たちには、誠に残念なことでした。

(引用参考文献) 
『あたらしい哲学入門 -なぜ人間は八本足か?』土屋賢二著 文春文庫 2014年2月刊
『無理難題が多すぎる』土屋賢二著 文春文庫 2016年9月刊
『そして誰も信じなくなった』土屋賢二著 文春文庫 2018年11月刊

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