永六輔さんと『大往生』

 最近、永六輔さん(1933~2016)に関する本が出版されました。『伝える人、永六輔『大往生』の日々』(井上一夫著)です。井上さんは著者略歴に「1948年、福井県生まれ、新潟県、富山県で育つ。」とあるので、ページをめくっていくと、永さん、井上さんと富山のエピソードがでてきました。

 永さんには、出版部数240万部を超す大ベストセラー『大往生』(岩波新書)があります。井上さんは、版元の岩波書店の編集者としてその『大往生』からいくつもの続編に至るまで終始寄り添い、その一部始終を書いたのが『伝える人…』です。

 その『大往生』の最初の発売当時、永さんが、「ぼくはいま町おこしの活動をしている。本屋さんは商店街の要だ。本屋さんの応援団をやろう」と日本全国でサイン会を行いたいと提案なさったそうです。通常、サイン会というのは数回のものなので、日本全国というのは出版界の常識を破るもので、日ごろから日本中を飛び回っている永さんの日程はますます過密になり、発売当日から翌日にかけて、次のような事態となったのでした。

 〈じつは当初プランでは金沢だけで、富山のサイン会は予定にありません。これはわたしが頼んだからです。せっかく金沢に行くなら、わが故郷である富山に寄っていただけないかと。「そうか、君、北陸出身だったね」と快く承知いただいたのですが、後になって休養時間を削ることになったかと気づき、恐縮しました。〉

 そして、富山のエピソードは、これにとどまりません。次のように続きます。

 〈ちなみに富山ではこんな場面がありました。富山出身のわたしより、彼のほうが街に詳しい。あそこに美味しい蕎麦屋がある、そこで昼飯を食おう。エッ、そんな店ありましたっけ? ちゃんとありました。しかも、そこのおかみと知り合いにはびっくり。永さん「あの高校生の息子さん、どうした?」おかみ「おかげさまでいま元気で」。開いた口がふさがらないはこのことです。〉

 これは、2000年(平成12年)1月21日のことです。確かに、この当時、永さんが富山市内でサイン会を催す(催した)という話を聞いたおぼえがあります。

 では、その240万部の大ベストセラー『大往生』に、富山のことは出ているのか? 出ているんですよ、これが。永さんが旅の先々で聞いた話を書き留めているその中の一つとして、紹介されています。なお、☆印は、書き留めた話に対する永さんのコメントです。

 〈「孫にさ、孫にだよ。おじいちゃん、大きくなったら何になるの? って聞かれちゃった」
 ☆富山の温泉の湯治客の老人はこう言って涙ぐんだ。その孫に答える言葉を考えて、老人に伝えた。
「おじいちゃんは仏様になるんだ」
 喜んでくれるかと思ったら、いやな顔をされた。 〉

 賑やかな永さんが立ち寄った富山の蕎麦屋は、今どうなっているんだろうか。サイン会を催した書店の商店街も相貌が変わってきた。富山の市街は、どうなっていくんだろうか。

(引用参考文献) 
『伝える人、永六輔 『大往生』の日々』井上一夫著 集英社 2019年3月刊
『大往生』永六輔著  岩波書店 2017年11月 第101刷

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です