<追悼 ドナルド・キーン氏> ドナルド・キーン氏と古川通泰氏

「実業之富山」2018年3月号より再掲

 日本文学研究者のドナルド・キーン氏については、二〇一〇年二月号のこのコラムで一度紹介したことがあります。『文藝春秋』二〇〇九年十二月号のグラビアに、キーン氏が高岡の「万葉集全二十巻朗唱の会」で朗唱する写真が掲載されていたという話題でした。

 最近になって『別冊太陽』でキーン氏が特集されていたので、この高岡の件について補足情報があるかなとパラパラめくるうちに、手が止まりました。キーン氏の玄関に飾ってある油絵の写真ページに、見慣れたテーマ、見慣れた筆遣いの油絵が掲載されています。

 そこは、「キーン家のコレクション探訪記」というページで、古民芸研究者尾久彰三氏(富山県出身)が、次のように書いています。

〈玄関に入ると、正面に畳半分大の油絵が掛かっていた。赤を基調に大和絵風の山を描き、裾野に何本かの幟と、人物のように見える白い顔をした集団が、列をなしている。眼を凝らすと、人ではなく狐だった。牧歌的な空気が全体から、立ち上がっている。〉

〈キーンさんが「古川通泰という富山の人の作品です。ドイツで個展をしました。若くして亡くなったのですが、私は大好きです。狐の嫁入りを描いています」と説明された。〉

〈私はこの絵が、キーンさんの琴線に触れて、お気に入りになったのが、何となくわかった。この絵には、日本人の持つ文学的情緒が、染み出ているからだ…。〉

 やはり、私の知っている古川氏の作品でした。

 私は古川氏の作品をよく目にしています。以前は、県立図書館に掛かっていました。また、たまに昼食で立ち寄る蕎麦屋の壁にも掛かっています。それは、畳一枚くらいの大作で、モチーフは狐の嫁入りです。それが、客席の背後に掛かっているのです。勿体ないというか、贅沢というのか。

 先日、店員にそれとなくこの油絵の作者は誰かと訊ねたら、「知らない」と言われてしまった…どうしよう。

 もう一軒、蕎麦屋があります。そこには、開店祝いにお客から贈呈されたとかいう、余白を残したさらっとした水彩画風の作品が掛かっています。ここでも、作者が誰だか知っているかと店員に訊ねたのですが、知らないとの返事でした。私も正解を知りたかったので、送り主に訊いてみたらどうかとも言ったのだけれど、変な客と思われたか、それっきりです。

 私にはもう一つ、古川氏の思い出があります。今から考えると、古川氏がドイツで個展を開くための準備で制作に没頭されていた頃でしょうか。八尾地区の廃校がアトリエになっているらしいと聞きつけ、知人と二人で予約もなしに見学に出かけました…が、残念ながら不在で、周囲を車で回って帰ってきてしまいました。

 その後、ドイツ出発前だったか、凱旋記念の個展だったかを見に行って、仮面らしき図柄の作品が、たくさん展示してあったことを憶えています。

 さて、キーン氏が高岡で朗唱されたのは、第六回目が開催された一九九六年のことです。出場者名簿には記載されていないところを見ると、¨飛び入り¨ということのようです。なんと嬉しいことでしょう。

 そして、朗唱の会の第二回ポスターは、古川氏の描き下ろしです。古代模様の縁取りの中に、満月の夜、赤や緑、黄色もたっぷり使って描かれた古城公園に、白い狐、赤い狐が出没する豪華な秋の夜です。

 それにつけて¨日本人の持つ文学的情緒が、染み出ている¨この言葉を富山県人としてかみしめたい。

(引用参考文献)

『別冊太陽-日本のこころ254 ドナルド・キーン』 平凡社刊 2017年9月

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

前の記事

黒部、立山の星

次の記事

オートバイの青年