吉村昭さんと「蟹の縦ばい」、レストランのソース
いつもの書店で、文庫本の棚を見ていたら吉村昭さん(1927-2006)の「蟹の縦ばい」という随筆集が目に入り、即、購入しました。
吉村さんには、黒部川の発電所をテーマにした「高熱隧道」という小説があります。そして、“カニのタテバイ”という言葉は、剣岳の岩場の名前です…。ということは、この随筆集には、富山に関する随筆が当然あるだろうというのが、私の買い求めた動機です。
随筆集は全体で6本の見出しが立ち、書名の「蟹の縦ばい」は、2本目の見出しでした。該当箇所をザーッとめくっていきましたが、富山を扱った随筆はありません、はずれました。
あきらめて、畳に寝転がって、巻頭から順番に読みなおしていたら、思いもかけず“富山”の文字が目に入りました。それは「ソース」という題の随筆で、次のようなものです。教育委員会の招きで、富山市へ講演に行った時のエピソードです。
富山市で泊ったホテルは、可もなく不可もないホテルだが、ただ一つ気に入ったことがあった。それは、ホテルのレストランの食卓にソース入れが置かれていたことである。
レストランで不思議でならないのは、ソースが食卓に用意されていないことである。内実はどうか知らないが、高級を自称する店に、その傾向がいちじるしい。ソースがなく、代わりに食塩を使うようになっている。
私個人の好みを言わせてもらえば、フライ類などはソースをかけなくては食べた気がしない。東京の下町で生まれ育った私は、ソースをかけぬ洋食など考えられもしなかった。―中略―洋食に不可欠のソースが、いつの間にかレストランから姿を消した。フライ類に、食塩をパラパラとふりかけて食べなくてはならなくなったのである。
そして、吉村さんは、こんな体験をつづります。
何度か高級と称するレストランでソースを所望した。が、判で押したように従業員はさげすんだ表情をし、ほとんどが当店にはありませんと素気なく答える。
しかし、続いて吉村さんは、東京銀座の有名店を引き合いに出します。
料理のうまいことで知られる銀座のレストラン三河屋にも、ソースが常時食卓に用意されている。
私が、ソースが置いてあるのは楽しい、と言うと、三河屋の主人は、
「こんなにいい調味料はありませんよ。なぜ、レストランではソースを置かないんでしょうね」
と、頭をかしげていた。
吉村さんのこの随筆は、昭和54年の執筆ということなので、このソースの富山は、今からみると古き良き富山の生活ぶりの一面ということになります。富山人の飾り気のない実直な生活ぶりがうかがえる話、と思ったしだいです。
…それにしても、吉村さんは、なぜ「蟹の縦ばい」という言葉を書名に付けたのだろうか?
(引用参考文献)
「蟹の縦ばい」吉村昭著 中公文庫 1993年7月刊