坪内祐三さんと、『万葉集』の「巻第18」のホトトギス、そして正月
いつもの書店に出かけ、坪内祐三(1958-2020)さんの著書を買ってきました。『文庫本千秋楽』(本の雑誌社)です。その中のコラムに、岩波文庫で86年ぶりの新版の『万葉集』が全5巻完結したことを取り上げたものがありました。本文中には直接に“富山”の文言は出ていませんが、実は、関係が大ありです。
ちょっと予備知識として申し上げると、今日に伝わる万葉集は、全20巻つまり巻第1~巻第20で構成されています。この全体を5分冊にした岩波文庫が、順次出版されて完結したのです(千田注:資料の一覧表参照)。
坪内さんは、その5分冊目、すなわち岩波文庫の第5巻が発刊され、完結した“快挙”を、新聞などが取り上げないことに嘆いておいでだ。そして、それに続いて次のようにお書きなのです。
この第5巻には万葉集の「巻第18」から「巻第20」までがおさめられているのだが通読していて気がついた。
というより本当に私は万葉集について無知だった。
明治に入って万葉集(いわゆる万葉調)を復活させた人物は正岡子規だ。
その子規が中心となっていた同人誌が『ほととぎす』(『ホトトギス』)だ。
万葉集にはそのほととぎすを詠んだ歌がたくさんあるのだ。
初句索引で、ほととぎすで始まる作品をかぞえたら42あった(その内16つまり3分の1以上がこの第5巻に収録されている)。
これはあくまで「初句」だから、ほととぎすが詠まれている作品の総数はもっと多いわけだ。実際何度も登場する。
(千田注:ホトトギスの和歌は万葉集の全体で153首ある。一覧表参照)
・ホトトギスの和歌が、第8,10,17,18,19に偏っているとわかる。
・後世の研究者によって、万葉集は巻1の第1番目の歌を1番とし、巻20の最終歌を4516番とする通し番号が付けてある。
として、坪内さんが取り上げたのは、大伴家持の詠った和歌、例えば次の4090番から4092番の3首などです。
4090
行へなくあり渡るともほととぎす鳴きし渡らばかくやしのはむ
現代語訳=何をするというあてもなく生き続けるとしても、ホトギスが鳴いて飛び渡って来たら、こうして心ひかれることであろうか
4091
卯の花の共にし鳴けばほととぎすいやめずらしも名告り鳴くなヘ
現代語訳=卯の花が咲くのに合わせて鳴くので、ホトトギスはますますすばらしい。名のって鳴く上に
4092
ほととぎすいとねたけくは橘の花散る時に来鳴きとよむる
現代語訳 = ホトトギスのひどく嫌なところは、橘の花が散る時になって来て鳴き響かせることだ
坪内さんのホトトギス談義は続くけれど、それは省略して、ここから先は、私の本題に入ります。
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坪内さんが取り上げた岩波文庫の第5巻は、富山に縁のある大伴家持と関係が大ありなのです。
家持は、越中の国司として、5年間在任し、たくさんの和歌を詠みました。その和歌は、年月日を順におった日記として万葉集に収録されています。“歌日記”と言われています。
その期間は、万葉集全20巻の中で、巻第17の途中から巻第19の途中までです。したがって、坪内さんが着目した「万葉集の巻第18」は、家持の日記の真ん中、ドンピシャリ、すなわち、そこに出てくるどの和歌も、全て(千田注:全てが家持の和歌ではない)が、家持が越中に在任中のことなのです。
つまり、「万葉集の巻第18」を取り上げた坪内さんは、越中のホトトギスに、“大当たり”していたというわけです。しかも、万葉集の全20巻全体の中でも、ホトトギスがきわめて多く詠まれている越中に、“大当たり”していたのです。その様子は、先に上げた一覧表で確認していただけるでしょう。このことを泉下の坪内さんにお教えできたら、呵々大笑なさるだろう。
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そして、坪内さんは、このコラムの最後に、次のようにお書きです。
それは、家持が、越中の任期を終えたのち、因幡で詠んだ和歌ですが、ご紹介します。なお、本文は、私が適宜に改行しました。
万葉集の一番最後に収録されている4516番も大伴家持の作品で、
「 新(あらた)しき年の初めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事(よごと) 」だ。
そしてその現代語訳は、
「 新しい年の初めの正月の今日降る雪のように、ますます重なってくれ、良いことが 」。
新しい年(2016年)を迎えるに当たって私もこの歌を口にしたい。
千田注:以上引用した文章を含め漢数字は、アラビア数字で表記した。
(引用参考文献) 『文庫本千秋楽』坪内祐三著 本の雑誌社 2020年11月刊 『万葉集(五)』佐竹昭広他校注 岩波文庫 2015年3月刊 『最後の人声天語』坪内祐三著 文春新書 2021年1月刊