吉本隆明さん 『共同幻想論』と、戦争の夏の日

 私が学生の頃、『共同幻想論』が評判でした。日本の戦後思想に大きな影響を与えた吉本隆明(1924-2012)さんの代表的な著作です。当時私は下宿の友人から借りて読みましたが、2~3ページ読んで止めました。全く歯が立ちません。

 最近、いつもの書店に行ったら、角川ソフィア文庫本で『改訂新版 共同幻想論』(吉本隆明著)が並んでいました。若い時代の忘れ物を見つけたような気分になり、購入してしまいました。

 文庫の末尾の改題によると、「(角川文庫に収録時、吉本さんは)ほとんど毎ページに綿密な訂補を加え」、「はじめて吉本氏の著書を手にされる若い読者をも想定して、著者(吉本さん)は読み易い文章を心掛け念入りな訂補を行った」とのことです。

 やっぱり、最初の頃の本は読みにくかったのですね、やれやれ、ひと一安心。

 で、今回、いざ文庫本を読んでみても、やっぱり理解できない。そもそも「幻想」つまり“夢、幻(ゆめ、まぼろし)を論じる“といわれても困ってしまう…、相変わらず、私は一歩も進みませんでした。

 こんなこともあろうかと、息抜き用にと、ソフトカバー本の小論集『吉本隆明 わが昭和史』(吉本隆明著)も、ついでに買ってきてはいました。中に、「共同幻想論のゆくえ」と題した20ページほどの小論文が載っているのです。なんだか心細さそうな題名ですが…、ページを広げてみたら、

 共同幻想論という呼び方は、マルクスに由来しています。マルクスは、国家について述べたところで、「国家は幻想の共同体だ」という言い方をしていますが、それがぼくの「共同幻想」という言葉の元になっています。
 ―中略― 
 マルクスの場合、「国家」といったとき、―中略― 政治的に考えるのではなくて、自然哲学として考えている。要するに、”観念としての”(注、傍点吉本氏)人間の集合体のひとつが国家であるという意味で、国家のことを「観念の集合体」と呼んでいるのです。
 日本では、この「観念」という言葉を「幻想」と訳していますから、「国家は幻想の共同体である」ということになるわけです。

 ここで、引用した最後のフレーズに、注目です。“日本では、この「観念」という言葉を「幻想」と訳しています”に、エッ?となるわけですよ。

 「観念」を「幻想」つまり「ゆめ、まぼろし」と訳すなんて、何だろうねぇ、お仲間内の符牒じゃないんですか? 何十年前の疑問の氷山が、すこーし融けたように思う今日この頃です。

 しかし、「幻想」という言葉の持つ衒学的、悪魔的な曖昧さが、やはり尾を引いてしまいます。

 さて、話題を変えて、この『吉本隆明 わが昭和史』の中に、「戦争の夏の日」というエッセイが収録されています。そこには、次のように出ています。一部を抜粋すると、

 あの北陸の夏の日は暑かった。そしてわたしの記憶のなかでは、晴れた日がいまでも続いている。北陸といえば暗い裏の日本という印象はまったくなかった。わたしは、二、三人の学生仲間と魚津市の外れにある日本カーバイド魚津工場に徴用動員できていた。
 ―中略―
 ある日、富山市の方向に空が赤く映えて燃えあがっていた。とうとう北陸の都市も灰燼(かいじん)に帰する日がやってきたのかと思いながら、畑と低い丘のつづきの空を眺めやっていた。―中略― そして八月のよく晴れた暑い日、工場の広場に集まるように言われたわたしたちは、とぎれとぎれしか聞きとれないのだが、綴れ織りを綴りあわせるように感受すれば、敗戦宣言とわかる天皇の放送を聴いた。
 ―中略―
 わたしは<戦争>ということ、<死>ということ、<卑怯>ということ、<喧嘩>ということ、<自然>ということ、<国家>ということ、名もない<庶民>ということ、そういう問いを、北陸道の、戦争の夏の日に知ったのであった。もう何十年になるだろう。

 これは、1945年8月1日、2日の富山大空襲を回想したエッセイです。1977年8月13日の北日本新聞に掲載されたものです。新聞掲載は、今から44年も昔のことなので、ご存知ない方もあろうかと思い、ご紹介する次第です。

引用参考文献)
『改訂新版 共同幻想論』吉本隆明著 角川ソフィア文庫 1982年初版、2020年6月改版初版
『吉本隆明 わが昭和史』吉本隆明著 ビジネス社 2020年11月刊