西部邁さんのこと

 いつもの書店で、平置きに積んである新刊書を手にしました。『評伝西部邁』(髙澤秀次著)です。この評伝は、次のような書きだしで始まっていました。

 〈日本を代表する保守派の論客・西部邁の多摩川河川敷での自殺(二〇一八年一月二十一日)の波紋は、しばらく収まらなかった。〉

 東京で過ごした学生時代以来の親友から、20年以上も前のことですが1冊の月刊雑誌が郵送されてきました。『発言者』(主宰、西部邁)です。

 その時、親友曰く、彼の郷里の某氏がこの雑誌に毎月寄稿している。その某氏には、高校の同窓会で時折会うので、寄稿が話題になる。そのタネとしたいので、読後の感想を教えてほしい。なお、年間購読の手続きをしておいたので今後12カ月毎月届くが、金銭の心配はしないでほしい。ただし1年後の購読継続の可否は、自主的に判断してほしい…とのことでした。

 某氏の寄稿は毎月のように続き、力のこもった文章でした。近代、現代の思想家の名前や思想用語がたくさん出てきますが、私には基礎知識がなくて、残念ながら腑に落ちるという具合に行きません。

 そうこうするうちに、主宰者である西部邁さんが、富山県出身の肉親を持つ北海道生まれとわかり、私の興味は、某氏から西部さんに移っていきました。西部さんはテレビの討論番組にも出演なさっていたらしいのですが、その頃私はあまりテレビを見てなくて、西部さんのはっきりとした記憶はありません。しかし、『発言者』の西部さんの文章からは大変に情熱が溢れていて、魅力的な語り口でした。

 西部さんが冒頭の評伝の記述のように他界されたことは、その当時のマスコミ報道で知っていましたが、いまは、評伝を手にし、富山に関係する記述に注意しながら開いていきました。著者髙澤さんは、富山と西部さんの関係を、例えば次のように記述しておいででした。

 〈越中富山の浄土真宗の僧侶の血を引く西部邁は、二代目の道産子ということになる。浄土真宗は、直接布教のためというより、北海道開拓の有力な一団として、北陸のみならず全国動員に近い形で、札幌その他の開拓にもあたったのであった。
 そこには、「出自を異にする棄民の成れの果ての集まり」であり、西部は自身を「共同体なき共同体に育まれた子と自認していた(『ファシスタたらんとした者』)。〉

 そして、髙澤さんは、次のようにお書きでした。

 〈もし西部邁の「(自裁)死の思想」を、「美学」と呼び得るとしたら、彼が絶えず「死への衝動と生からの呼びかけ」に並外れて豊かな感受性を備えた、生粋の文人であり、「死のうちでもっとも醜い死」、すなわち「生きながらの腐敗」(「世代間の関係、それが時代である」、『ニヒリズムを超えて』所収)を拒絶する精緻な文体と、その躍動によってであった。世の「臆病な御仁たち」を嘲笑うように、西部は冬の多摩川に飛び込んだ。その意味で彼の死は、三島のそれと同等の、生者への永久に「返済不可能な贈与」だったのである。〉

 東京市ヶ谷の三島由紀夫事件は、当時私は学校キャンパスでリアルタイムで知り、学生仲間とその事件を話題にしていたので、髙澤さんが二人の自裁を比較して取り上げたことに、言い知れぬ現実味を感じてしまいます。

 少しずつ馴染み始めた『発言者』でしたが、西部さんの存命中に廃刊となり、後継雑誌が出版されましたが、私の購読は、その頃になんとなく途切れてしまいました。

(引用参考文献)
『評伝 西部邁』 髙澤秀次著 毎日新聞出版 2020年1月刊
『サンチョ・キホーテの旅』 西部邁著 新潮社 2009年3月刊