<ノートルダム大聖堂火災の報に接して>美術教師の東という人

「実業之富山」2017年2月号より再掲

 一九六七年頃、私が通学していた高校の美術担任の先生は、東一雄という痩身で眼鏡をかけ、学校在籍の長い人でした。あだ名の「カラス」は、生徒の間で代々受け継がれていましたが、先生は知らんぷりでした。

 さて授業が始まると、私たちに油絵を一枚描きなさいと指示されました。しかし生徒の大半は生まれて初めて、油絵の具に触るので、途方にくれていると先生は、どんな絵になっても良いとおっしゃいます。

 そう言っておきながら、「ただし、ヒマワリを描いて真ん中に目口鼻を描くのだけは、やめてくれ。そんな絵は、私にはわからん」としっかり釘を刺された。

 そうこうするうちに、数年前の先生ご自身のヨーロッパ旅行の話になりました。どうやら美術教師としての派遣、旅行で、しかも数カ月の長旅だったようです。その旅行の成果の油絵を数点、私たちに披露されました。

 その絵がどんな作品だったか、すっかり忘れてしまいましたが、今でも一点だけ鮮明におぼえています。それは、フランスのノートルダム大聖堂を描いた油絵です。

 この大聖堂は、世界の美術史でもたいへんに有名な画題で、印象派のモネの連作が、中学の美術教科書に掲載されていたくらいで、とっさに思い出しました。

 モネは、大聖堂を右斜めから水平の視線で見た構図で、画面一杯に描いています。それと同じ大聖堂を、カラス先生の場合は、大聖堂の正面の足元から尖塔を見上げる構図でした。遠近法からいって、足元は幅広く、上にいくにつれて、すぼまっていきます。

 先生は、敢えてこの構図にしなければ大聖堂の迫力が出てこないのだと、両手で漢字の「八の字」を作りながら力説なさっていました。

 旅行の話はそれっきりでしたが、実はこの旅行には、私たち生徒に話していない、こんなエピソードがありました。

 著名な画家で絵本作家そしてエッセイストである安野光雅氏がお書きです。

 安野氏も同時期にヨーロッパ旅行をしていて、コペンハーゲンのアンブレラというホテルで、たまたま空港でいっしょになった「富山高校の美術教師の東という人」と同宿となります。その後二人は別れて、ヨーロッパ各地を旅します。

 そして、安野氏がスペインにやって来たとき 

〈マドリードでは、サラゴザというホテルに泊まった。ボーイが「日本人がいるよ、ヒガシとかいった」という。さてはコペンハーゲンで同宿した、あの東に相違ない、と思ったら、はたしてそうだった。
「パリで孫の帽子をみやげに買ったら二つ来た」
 と、ぼやいていたが、なんとそれは、パットと呼ぶ模擬乳頭で、そのパットに帽子のつまみにみえたものがついているのも無理もないことだった。こんなに笑ったこともないほど、彼は天真爛漫の人物で、富山高校で習ったという人が実に多いが彼を悪くいう者はひとりもいない。
後に、有楽町のマリオンで個展をなさったとき、ほとんど、四十年ぶりに出会い、おもわず抱きあってなつかしんだ。彼とすごした時間はあわせても一日にはならぬのに、彼との思い出は生涯のできごとになった。〉

 カラス先生、東一雄先生が他界されてだいぶ年月も流れてしまいました。
           

(引用参考文献)
『本を読む』安野光雅著 山川出版社 二〇一六年十二月刊 
『スペインの土』安野光雅著 朝日新聞社 一九八四年八月刊 
『カラスの学校』東一雄著 楓工房 平成十年六月刊

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