御即位、新元号「令和」、万葉集、越中富山

 4月1日、新しい元号が「令和」と発表され、その典拠は万葉集と解説が付きました。

 大伴旅人の官邸で開かれた宴の折の「梅花の歌三十二首あわせて序」とある、その「序」に記載のある「令月」と「風和ぎ」からとのことです。「令月」とは「佳き月」の意味だそうです。

 そのおかげで、万葉集に縁ある土地として、富山県高岡市、そして資料の揃っている高岡市万葉歴史館が、一躍脚光を浴びることになりました。

 高岡は、万葉集の編集に大いに関わった大伴家持 (大伴旅人の嫡子) が、越中の国司として5年間在任した地であり、市民が”家持さん”と敬愛している土地です。

 新しい元号が発表されて数日ほど経って、私がいつもの書店に行ってみたら、報道されていた通り、万葉集の関係書籍だけを並べたワゴンがありました。売れ行き好調なのでしょう、わずかに残っているだけになっていました。

 私は万葉集の関連書籍を数冊持っていて、この日は興味を引く書籍がなかったので、目を左の平台に転じました。そこには、新しく御即位される徳仁親王様の著書が積んでありました。『水運史から世界の水へ』(NHK出版)です。版元や書店としては、当然、御即位にあやかる商法なのでしょうが、ま、それはともかく、手に取ってみました。

 目次からは、格別、富山に関する記述は推測できませんが、それはいつものこと、ページをめくるうちに、大伴家持の長歌が、目に飛び込んできました。

 家持といえば優美な歌が代表作として話題になりますが、親王様が引用されているのは、日照りが続くので雨乞いをするという内容の歌です。こんな土俗的な歌は、家持の越中在任中の歌ではないかと、ピーンときて早速買い求めたのでした。

 案の定、その歌は、万葉集第4122番の長歌で、家持が越中に在任中、天平感宝元年の6月1日ユリウス暦749年7月19日の夏の作歌です。

 親王様は、水の利用についてアフリカなどの実情に言及されながら、日本の歴史を振り返っておられます。そして、引用されたのが、くだんの家持の長歌の一部です。

 その長歌を、私の手元の万葉集から引用してみます。

 雨降らず 日の重なれば 植ゑし田も 蒔きし畑も 朝ごとに 凋み枯れゆく そを見れば 心を痛み みどり子の 乳乞ふがごとく 天つ水 仰ぎてぞ待つ あしひきの 山のたをりに この見ゆる 天の白雲 海神の 沖つ宮辺に 立ちわたり との曇りあひて 雨も賜はね。

 雨が降らないまま日数が重なって行くので、苗を植えた田も、種を蒔いた畠も、朝ごとに凋んで枯れてゆく。それを見ると心が傷んで、幼な子が乳でも求めるように、大空を振り仰いで恵みの雨を待ちに待っている。今しも、山の尾根にまざまざと見えるこの天の白雲よ、海神の統べたまう沖の宮のあたりまで立ち広がり、一面にかき曇って、どうか雨をお与え下さい。

 新しい天皇陛下は、万葉集を通じて、1270年も昔の越中富山の習俗をご存知だったとは、なんとしたことでしょう。

 そこで、ちなみに、越中在任中の家持は、父旅人の使っていた「令」や「和」を知っていたかどうか、万葉集を調べてみました。

 「令」は、大伴池主の2つの歌の序文に「令節」、つまり「好ましい季節」という言葉で出ていました。それは天平19年の春3月2日、ユリウス暦747年4月15日のことです。

 「和」は、家持が池主に送った手紙の中で、「和風」つまり「そよ風」という言葉で出ていました。それは天平19年3月5日、ユリウス暦747年4月18日のことです。

 大伴旅人の子家持もまた、「令」も「和」も、越中で使っていたのです。なんと嬉しいことでしょう。

 越中富山は、1270余年も前の太古から、「令」とも「和」とも縁があったことが、万葉集で確認できるのでした。(平成31年4月6日記) 

(引用参考文献) 
『水運史から世界の水へ』徳仁親王著 NHK出版 平成31(2019)年4月5日刊
『新潮古典集成 万葉集 二』新潮社 昭和53年11月10日刊
『新潮古典集成 万葉集 五』新潮社 昭和59年9月10日刊
『補訂版 万葉集 本文篇』塙書房 平成12年3月20日(補訂版3刷)刊
『古代中世暦 ╴和暦・ユリウス暦 月日対照表』日外アソシエーツ㈱ 2006年9月刊
『別冊國文学 №46 万葉集事典』稲岡耕二編 学燈社

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